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お葬式は、さよならのためだけじゃない

  • 執筆者の写真: bunchi
    bunchi
  • 2025年7月15日
  • 読了時間: 3分

大切な人を亡くしたあと、 時間が経っても、

心の中にぽっかりと穴があいたままのように感じることがあります。


「もう泣いてはいけないのかな」


「前を向かなきゃいけないのかな」


そんなふうに、自分の悲しみに迷ってしまう日もあるかもしれません。


でも本当は、悲しみは無理に手放さなくてもいいのです。

その涙は、あなたがその人を深く想っていた証だから。


多くの人は、お葬式を「お別れの場」ととらえます。

もちろんそれも大切な役割ですが、

“さよなら”だけに心が向いてしまうと、

悲しみが大きくなりすぎてしまうこともあります。


本来、お葬式には「亡き人を送る」だけでなく、

残された人の心を整え、これからの時間を歩んでいくための祈り

という側面もあります。


お経の声、香の香り、手を合わせる所作。

それらはすべて、亡き人への想いと共に、

あなた自身の悲しみにもそっと寄り添うものなのです。


また、仏教にはこんなお話もあります。

生きている間に、お地蔵さまやお墓を大切にしていた人は、

自分があの世へ旅立つとき、 そのお地蔵さまが道しるべとなり、

会いたい人の元へと導いてくれるというのです。


お地蔵さまは、子どもたちや迷いの中にある魂を見守る仏さまとして、

昔からたくさんの人々に親しまれてきました。


手を合わせ、祈ることは、亡き人とつながり続けるための行い。

それは、「終わり」ではなく、


「また会うための約束」


でもあるのです。


だからこそ、お葬式やお墓に手を合わせるという行為は、

いまここにいる私たちの心を整えるだけでなく、

いつかの再会に向けて、あたたかな道をつくる時間なのかもしれません。


近年では、樹木葬や海洋散骨といった新しいかたちの供養を選ぶ方も増えてきました。

どの選択肢にもそれぞれのよさがありますが、

あらためて「お墓とは何か」「祈るとはどういうことか」を考えてみることも、

これからの供養や家族とのつながりを見つめ直す、良い機会になるのではないでしょうか。


こうしたお話や考え方は、 「こうでなければならない」というものではありません。


けれど、心のどこかに 「そんな見えないつながりがあるのかもしれない」

という想いがあるだけで、

祈る手のぬくもりが、少し違ったものとして感じられるのではないでしょうか。

私自身、 「そういった考えもあるんだな」

と頭の片隅に置いておくことで、 あらためて、

お葬式やお墓の意味、亡き人への祈りの時間の尊さを、

静かに感じ直すことができました。


事務長 大川


 
 
 

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