

だから、清の墓は、小日向の養源寺にある。
夏目漱石は早世した保三郎を深く悼み、
幾度となくこの墓を訪れました。
漱石の代表作『坊っちゃん』に登場する老女中・キヨは、“天然居士”こと米山保三郎の祖母。
この米山清をモデルにしたと伝えられています。


〝 彌生のはじめつがた養源寺の花に来て
外にちる後そ色そふこの寺の風も良きたる花の梢は 〟
二条康道公

二条康道公、養源寺御成遊ばせられ
其節御覧の櫻木、当地へ移植し
(明暦の大火により湯島から千駄木へ)
三代櫻と名付け、銘木なりしも先年朽ち果て跡なし
今は実生の若木一本残れり。

當寺は往古本郷湯島切通し下大根畑にあり
開祖秀岳玄智禅師は春日局の帰依僧として、度々江戸城に登城。
二代将軍徳川秀忠公より先の場所に
土地総坪三千坪を拝領
御局嫡男 稲葉丹後守越智正勝公を
開基として元和二年(1616年)創建

春日局(狩野探幽筆 湯島麟祥院蔵)

養源寺開基 稲葉正勝公
明暦三年正月十八日 湯島切通の寺類焼
翌萬治元年 稲葉美濃守正則公
駒込千駄木林(文京区千駄木)替地を賜、
諸堂を建立
落慶翌年、黄檗宗開祖隠元禅師を
招いて入仏供養をする。
養源寺に眠る著名人

「一日の計は朝にあり。
一年の計は春にあり。
一生の計は少壮の時にあり。」
安井息軒
江戸時代の儒学者。名は衡、字は仲平、息軒は号。日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出身。その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。妻の佐代は、森鷗外の歴史小説『安井夫人』のモデル。
当山墳墓

日本弘道会創始者 『日本道徳論』著者
西村茂樹
明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。
道徳振興団体「日本弘道会」創設者。
号は泊翁。西欧の模倣と追随に終始する政治や社会の在り方に警鐘を鳴らし国民道徳の確立を訴え続け、官職を辞した晩年には、執筆活動をしながら、全国を行脚して社会道徳の高揚に一身を捧げた思想家であり、生涯教育の先駆者。
当山墳墓